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温泉

高台から眺める露天風呂からの景色は壮大

白浜温泉は、日本三古湯(白浜温泉 / 有馬温泉 / 道後温泉)に、また三大温泉地に数えられるお湯処です。
また、飛鳥、奈良朝の時代から「牟婁の温湯」「紀の温湯」の名で知られ、斉明、天智、持統、文武天皇をはじめ、
多くの宮人たちが来泉された1400年余りの歴史を持つ由緒ある温泉観光地で、万葉集や続日本書紀にもその名が残されています。
日本書紀26巻には、有間皇子の悲劇として牟婁の温湯、紀の温湯の名で記されています。

温泉のご案内

大浴場や各露天風呂の良質な温泉成分の詳細についてご案内いたします。
  • 客室露天風呂【一例】

    海を眺めながらのゆったりとした湯浴みを満喫していただけます。
    スダレもあって目隠し、日差しよけに自分スタイルで入れる露天風呂です
  • 別荘【絶景哉山荘】

    源泉掛け流しの「露天風呂」と「大きな湯船の内湯」と2つの檜風呂の温泉があり、
    部屋にある大窓の高台から眺める景色は絶景です。
  • 別荘【峠の桜茶屋】

    檜の露天風呂と内風呂を兼ね備えた客室温泉、眺めなど、
    どれを取っても少し贅沢な気分を感じていただける別荘でどうぞごゆっくりとお寛ぎください。
  • 白浜温泉の歴史①

    三大温泉地に数えられるお湯処。
    白浜温泉は、日本三古湯(白浜温泉、有馬温泉、道後温泉)に、また三大温泉地に数えられるお湯処。
    飛鳥、奈良朝の時代から「牟婁の温湯」「紀の温湯」の名で知られ、斉明、天智、持統、文武天皇をはじめ、
    多くの宮人たちが来泉された1400年余りの歴史を持つ由緒ある温泉観光地で、万葉集や続日本書紀にもその名が残されています。
    日本書紀26巻には、有間皇子の悲劇として牟婁の温湯、紀の温湯の名で記されています。
    「限りなき碧き海よ空よ光よ ここは常春の國だ 湧きき出る湯の國だ」
    斉明紀三年(西暦六百五十七年)九月、有馬皇子が「牟婁の温湯」に湯治しにお越しになった時のお言葉です。
  • 白浜温泉の歴史②

    更に皇子は「彼の地は、ただ訪れるだけで病が自ずからよくなった」と当地を賞讃されたのです。
    しかしながら、中大兄皇子と蘇我赤兄の謀略にのせられて、あたら華の蕾のうちに、
    悲劇の最後を遂げられた皇子の生涯を思うとき、誰しも一掬の涙を禁じ得ぬものがありましょう。
    温泉は、時代が進んで江戸時代には、文人や藩の武士、武家の女中たちが多く訪れ、華やかな賑わいを見せていました。
    交通は海路で田辺市から船で来る事が多くこの頃から湯崎温泉と呼ばれるようになったようです。
    また、大正末までは、湯崎海岸の岩場に自然噴出している湯を下に小石をしいて引き込んだ、共同の外湯でした。
  • 白浜温泉の歴史③

    明治20年、紀州航路が開かれ大阪方面から汽船で直接来ることができるようになると温泉は急速に発展しました。
    大正末期から昭和初期にかけて、湯崎地区から全町的に各地区に開発会社による開発が行われ、
    大正12年には道路網も完成、白良浜を中心とした現在の白浜温泉街が生まれました。
    大浦温泉、古賀浦温泉の誕生もこの頃です。
    特に昭和8年、鉄道が開通し白浜駅が出来ると関西屈指の温泉観光地として広く知られるようになり、
    町全体が白浜温泉として大きく発展しました。
    現在は年間300万人を超える観光客でにぎわう日本の三大温泉観光地となっています。

温泉情報

温泉

白浜温泉(天然温泉100%)温泉掛け流し ※人工温泉含まず

入湯税

入湯税大人150円別途頂きます。

源泉名

かごめ源泉

湧出地

和歌山県西牟婁郡白浜町1725番地の2

泉質名

ナトリウム-塩化物 / 炭酸水素塩泉

泉質分類

弱アルカリ性低張性高温泉

浴用の適応症

神経症 / 筋肉痛 / 関節痛 / 五十肩 / 運動麻痺 / 関節のこわばり / うちみ / くじき /
慢性消化器病 / 痔疾 / 冷え性 / 病後回復期 / 疲労回復 / 健康増進 / きりきず /
やけど / 慢性皮膚病 / 虚弱児童 / 慢性婦人病

浴用の禁忌症

急性疾患(特に熱のある場合)/ 活動性の結核 / 悪性腫癌 / 重い心臓病 / 呼吸不全 / 腎不全 /
出血性疾患 / 高度の貧血 / その他一般に病勢進行中の疾患 / 妊娠中(特に初期と末期)